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沿革

明治39年(1906)年6月7日

創業者 細谷喜一(細谷家五代目)

『藤棚 細谷煙火店』打揚花火製造

創業者 細谷喜一(細谷家五代目)  『藤棚 細谷煙火店』打揚花火製造
大正12年(1923)

青梅織物組合設立10周年祝賀会花火

青梅織物組合設立10周年祝賀会花火
大正13年(1924) 両国川開き花火大会に参加
昭和3年(1928)

両国川開き花火の製造を
「鍵屋」より受託

両国川開き花火の製造を「鍵屋」より委託   細谷政夫16歳

細谷政夫16歳
花火大会出発前

昭和4年(1929)

警視庁令「花火工場の設置保安基準」発令

草花工場新設

  (完成検査時)

(完成検査時)

昭和6年(1931) 落下傘花火発明
昭和9年(1934)

クリスマスクラッカー発明

戦後 発煙ゴルフボール発明

昭和15年(1940)

先代喜一翁逝去(享年60歳)により、
前会長故細谷政夫(平成19年7月没)は
29歳で事業を継承

  (社長宅前)

(社長宅前)

昭和17年(1942)

戦時中
東京第一陸軍造兵厰監督工場

  東京第一陸軍造兵厰監督工場   東京第一陸軍造兵厰監督工場
昭和20年(1945) 終戦、ポツダム政令により、工場閉鎖、マッチ製造、建材を製造販売
昭和23年(1948)

戦後、G.H.Qに両国花火コンクール開催を
有志と共に陳情、細谷煙火店 優勝

戦後、G.H.Qに両国花火コンクール開催を
昭和24年(1949)

戦後、火薬類の製造が禁止されていたが、G.H.Q経済科学局より産業用火工品害鳥獣威嚇用爆音器の許可

社名変更『細谷煙火工業株式会社』(資本金100万円)

昭和26年(1951)

細谷煙火工業㈱を発展的に解散、『ホソヤ煙火化学工業株式会社』設立(資本金400万円)

昭和27年(1952)

警察予備隊総監部へ火工品納入開始

昭和29年(1954)
社名変更『細谷火工株式会社』(資本金542.5万円)
 
 
昭和29年工場にて

昭和29年工場にて

  昭和29年工場頃

昭和29年工場頃
発煙ゴルフボールの生産

 
 
(昭和31年夏 草花正門前)   (昭和31年夏 草花正門前)
 
(昭和32年 工室)

(昭和32年 工室)

  (昭和32年 草花工室)

(昭和32年 草花工室)

  (昭和32年 投弾の製造)

(昭和32年 投弾の製造)

 
昭和36年(1961)
菅生工場起工式
菅生工場起工式   (菅生工場製造工事)

(菅生工場造成工事)

 
昭和38年(1963) 増資(資本金5,040万円)日本証券業協会の店頭登録銘柄(現JASDAQ)に登録
昭和50年(1975) 増資( 資本金20,160万円)
昭和53年(1978)

菅生工場造成工事完成

隅田川花火大会(両国川開き)再開

菅生工場造成工事完成   隅田川花火大会(両国川開き)再開  
昭和56年(1981)

現場風景

(マリンマーカ/菅生工場)

(マリンマーカ/菅生工場)

  (発煙ゴルフボール/草花工場)

(発煙ゴルフボール/草花工場)

  (7号玉打揚火薬取付/草花工場)

(7号玉打揚火薬取付/草花工場)

 
昭和56年(1981)

草花工場正門前
(現在いなげや南側駐車場入り口)

草花工場正門前 (現在いなげや南側駐車場入り口)
平成元年(1989) バブル景気の中で、全国的に花火事故が多発
平成2年(1990) 煙火(花火)製造販売部門を㈱ホソヤエンタープライズ(設立;2月)に移譲開始(隅田川、東京湾、西武園、豊島園の花火は細谷火工が実施)
平成5年(1993) 全ての煙火製造販売事業を㈱ホソヤエンタープライズに移譲完了
平成6年(1994) 本社をあきる野市菅生に移転(草花本社跡地を「スーパーいなげや」に賃貸)
平成13年(2001)

ISO9001認証取得  BSK0091(本社・菅生工場、東京営業所)

認証範囲:火工品の設計・開発及び製造(安全性評価試験を含む)

平成15年(2003) 使用済核燃料再処理剤(HAN)量産開始、日本原燃㈱六ヶ所村事業所へ納入
平成19年(2007) 草花工場に硝酸ヒドロキシルアミン・硝酸ヒドラジン (危険物5類)の製造施設完成
平成26年(2014) 水中携行型発煙筒 「ダイバーマーカSOS」発表